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「円覚寺」は、神奈川県鎌倉市鎌倉市山ノ内にある寺院で、1282年に鎌倉幕府執権、北条時宗によって開基され、中国僧の「無学祖元」によって開山された。
創建当時は、「総門」、「三門(山門)」、「仏殿」、「法堂」、「方丈」が一直線に並ぶ典型的な禅宗様伽藍配置であったが、現在は「法堂」は失われて再建されていない。(下の図)
伽藍 

JR横須賀線の「北鎌倉駅」の前にあり、入り口を入ると「円覚寺」の「総門」(下の写真)が見える。

総門 

この「総門」には、「円覚寺」の山号である「瑞鹿山(ずいろくさん)」の額が掲げられています。
そして、この「総門」を潜ると奥の方に「三門(山門)」(下の写真)が見えます。
山門 

この「三門(山門)」は、1785年に再建され、初層の桁行は三間、梁行き2間の二重門である。楼上には「十一面観音」、「十六羅漢像」などが安置されている。
「三門(山門)」の奥にあるのが、「仏殿」(下の写真)である。

仏殿 

1964年に再建され、鉄筋コンクリート造であるが、1573年の仏殿指図に基づいて建てられている。
堂内には、本尊の「宝冠釈迦如来像」や「梵天・帝釈天像」などが安置され、天井に「白龍図」が描かれている。この「白龍図」は、「前田青邨」の監修元で日本画家「守屋多々志」が描いたものである。
「仏殿」の奥には、「大方丈」(下の写真)がある。

大方丈 

元来は、寺の住侍の住む建物をさすが、現在は各種儀式、行事に使用されている。2016年1月16日に書家「金澤翔子」の席上揮毫が行われた。(下の画像は、書家10年目の筆跡)



彼女の父は、この「円覚寺」に眠っていて、書家10年の集大成として、2016年の父の命日にあたる1月16日に「席上揮毫」が行われた。書展がこの日から2月12日までこの「円覚寺大方丈」で行われた。
この「大方丈」よりさらに奥に神奈川県唯一の国宝建造物の「舎利殿」(下の写真)がある。

舎利殿 

この「舎利殿」は、開山「無学祖元」を祀っている塔頭「正続院」の中にある。「舎利殿」は、入母屋造り、杮葺き、一重裳階付きの建物である。
当初の建物は、焼失し、鎌倉尼寺五山の「太平寺」(廃寺)の仏殿を移築されたものである。

今回は、「Wikipedia」「円覚寺HP」、「週刊古寺をゆく18」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考

INSIGHTS INTO LIVING The Sayings of Zen Master Nanrei Yokota (いろはにほへと-鎌倉円覚寺横田南嶺管長ある日の法話より-)

禅ー世界を魅了する修行の系譜ー(サンガジャパンVol.27)

日めくり 金澤翔子の書 幸(しあわせ) ([実用品])

あふれる愛 ― 翔子の美しき心 ―

金澤翔子 伝説のダウン症の書家


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 2017_09_02


神奈川県鎌倉市にある禅寺の「建長寺」は、鎌倉幕府第五代執権北条時頼によって1253年に創建された。開山は、中国宗から渡来した「蘭渓道隆(大覚禅師)」によって行われた。1293年に発生した鎌倉大地震によって建造物の大半が倒壊炎上した。その後中国元から渡来した「一山一寧」が再建にあたったが、1315年、1416年を始めとするたびたびの火災で創建当初の建物は、ほとんど失ってしまった。江戸時代に徳川家の援助で復興したが、1923年の関東大震災でも大きな被害を受けた。
創建当時の建物は、失われたが「総門」、「三門」、「仏殿」、「法堂」等の一直線に並ぶ配置伽藍は、創建当時の面影を残しているとされている。(下の写真)

境内図 

鎌倉街道から入るとさい最初に見えてくるのが「総門」(下の写真)である。

総門 

この「総門」は、1275年頃創建され、その後の火災等で焼失し、1609年頃に再建されたが、その後に起こった関東大震災によって倒壊し、1943年再建された。この再建された「総門」は、1783年に建立された京都の「般舟三昧院」から移築されたものである。この「総門」は、「巨福門」とも呼ばれている
この「総門」をくぐると奥に「三門」(下の写真)が見える。

三門 
この「三門」は、1253年の建立され、後に炎上し、1775年に再建された、銅板葺の二重門である。
この門の楼上には、釈迦如来・五百羅漢・十六羅漢が安置されている。
この「三門」の向こうに見えてくるのが「仏殿」(下の写真)である。

仏殿 

この「仏殿」は、1253年に建立されたが、後に延焼し、1647年に再建された。この建物は、芝増上寺にあった徳川秀忠夫人の崇源院の霊屋を移築したものである。
さらにその奥には、「法堂」(下の写真)がある。

法堂 

この「法堂」は、1275年に創建され、1814年に再建された。方三間、裳階付、銅版葺きの建物である。

今回は、「Wikipedia」、「古寺をゆく18」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考

鎌倉 建長寺の精進料理 家庭で作れる名刹の味

ひたすらに書きます ダウン症の書家・金澤翔子建長寺書展のあゆみ

翔子 ダウン症の女流書家が語った、心温まる50の言葉

子どもに伝えたい日本の名作 (建長寺・親と子の朗読会から)

決定版 知れば知るほど面白い!般若心経


 2017_07_25


天野山「金剛寺」は、大阪府河内長野市にある真言宗御室派の大本山である。山号は、「天野山」で奈良時代に、聖武天皇の勅願により「行基」が開いたとされている。平安時代末期に「高野山」の僧「阿観」が「金堂」、「御影堂」などを建立し、再興した。(下の写真)

境内図 

上の境内図の北側(右側)にある「総門」から「金剛寺」に沿って天野川に流れている南側に「南大門」(下の写真)がある。

南大門 

「南大門」としては、決して大きくない入母屋、本瓦葺きの門をくぐって北側に歩くと「楼門」(下の写真)がある。

楼門 

この「楼門」は、鎌倉時代後期の1275年から1332年に建立された。入母屋造り、本瓦葺きの三間一戸の楼門である。
この「楼門」をくぐり、中央に向かって進むと「食堂」があり、その奥に「金堂」(下の写真)が見えてくる。

金堂 

「金堂」は、1178年に創建され、南北時代を経て、1320年に再建された。「金堂」は、1615年に大改修されているが、2009年から9年かけて「平成の大改修」が行われている。「金堂」は、入母屋造り、本瓦葺きの7間四方の建物である。
「金堂」の南側に建っているのが、「多宝塔」(下の写真)である。

多宝塔 

「多宝塔」は、平安時代後期の1086年から1184年に建立された三間四方の塔で、屋根は杮葺きである。「金堂」と同時に「平成の大改修」を行っています。
「金堂」の西側にあるのが、「御影堂」(下の写真)である。

御影堂 

「御影堂」は、1117年に建立され、桃山時代1606年に再建された。桁行4間、梁間4間の一重の宝形造りで、正面向拝造り1間の建物である。「観月亭」がついている。(上の写真右側)
「金剛寺」は、「女人高野」とも呼ばれ、「高野山」が女人禁制だったのに対して、女性の参拝を許している。

今回は、「Wikipedia」、「古寺をゆく48」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考

双体道祖神土鈴~金剛寺~

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 2017_06_26


香川県善通寺市にある「善通寺」は、真言宗善通寺総本山、「屏風浦五岳山誕生院」と号する。この寺院は、「四国八十八箇所霊場の第七十五番」である。そして、「和歌山県高野山」、「京都府東寺」と共に弘法大師三大霊場に数えられる。
平安時代初頭の807年に真言宗開祖「空海」の父である「佐伯善通」を開基として創建された。伽藍は、創建地である東院と、空海生誕地とされる西院とに分かれている。(下の図)

境内図 

「東院」は、創建当初は15の堂宇があったが、1558年に三好実休の兵火に遭い伽藍を焼失するが、1588年に「生駒親正」からの寄進をうけて立ち直った。
現存する建物で古いのが、伽藍東側に建っている「釈迦堂」(下の写真)である。

釈迦堂 

「釈迦堂」は、1681年頃に再建された入母屋造り、本瓦葺き、軒唐波風付向拝、桁行5間の梁間6間の建物である。
「釈迦堂」の北側中央に位置するのが、「金堂」(下の写真)である。

金堂 

「金堂」は、1704年に再建された入母屋造り、本瓦葺き、一重裳階付きで、方三間の一間の身舎が周囲にめぐらされている。
「金堂」の南側正面にあるのが、この伽藍への入り口となる「南大門」(下の写真)である。

南大門 

「南大門」は、1904年に再建された木造の四脚門である。本瓦葺きの間口7.6m、左右袖塀付である。
この「南大門」を入って東側に聳えて建っているのが、「五重塔」(下の写真)である。

五重塔 

「五重塔」は、1845年に再建が始まり、1902年に完成した。この塔は、高さ43mで、総欅造り、三間五重塔婆、本瓦葺きである。
「釈迦堂」の向かい側の西側に建っているのが、「中門」(下の写真)である。

中門 

「中門」は、1876年に再建された木造2階建て、入母屋造り、本瓦葺きで一間一戸楼門である。
参道を挟んで「中門」の向かいにあるのが「西院」の入り口にあたる「仁王門」(下の写真)である。

仁王門 

「仁王門」は、1889年に再建された三間一戸の八脚門で、入母屋造り、本瓦葺で、棟に鯱を飾っている。
「仁王門」くぐり「回廊」通った先に「御影堂」(下の写真)がある。

御影堂 

「御影堂」は、1831年に再建された。奥殿の前に建っている。前寄りで十字形に入母屋屋根が交叉し、正面に三間向拝を付ける。前方は桁行七間梁間四間で外陣とし、その奥に桁行六間梁間五間の内陣を付設し、周囲に縁をまわして礼拝空間を創出している。
「東院」には、樹齢1000年の「大楠」(下の写真)がある。「五重塔」の西側に位置した所ある「大楠」(下の写真)である。

大楠 

このそばに、もう一本「五社明神の大楠」と言われる楠が立っている。

今回は、「Wikipedia」、「週刊古寺をゆく」、「善通寺HP」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考
●古寺を巡る

週刊 古寺を巡る 45 善通寺  弘法大師が生誕した四国の霊跡

●弘法大師空海の寺を歩く

弘法大師空海の寺を歩く―高野山、四国霊場…空海ゆかりの地へ (楽学ブックス 古寺巡礼 10)

●三教指帰と空海

三教指帰と空海: 偽撰の文章論


 2017_05_26


今回は、日本三大奇祭のひとつと言われる会陽(裸祭り)で有名な岡山県の「西大寺」を紹介します。
「西大寺」は、岡山県岡山市東区にある寺で、「高野山真言宗別格本山」の寺院である。
751年に、藤原皆足姫が草庵を建て、千手観音を祀ったのが起りであると伝えられている。
777年に、「安隆上人」が金岡の地に角を埋めて諸堂宇を建立して「犀戴寺」と称した。
後に「後鳥羽上皇」の祈願文から「西大寺」に改称されたとされている。
1299年に堂宇を焼失したが、その時には「本堂」、「常行堂」、「三重塔」、「鐘楼」、「仁王門」等を構えていたことが、「金陵山古本縁起」に記されている。
現在の境内は、「本堂」、「三重塔」、「仁王門」等の伽藍配置になっています。(下記の図)
境内図 
JR西大寺駅より南側に徒歩で15分の所で石橋の向こうに「仁王門」(下の写真)が見える。

仁王門 

「仁王門」は、1740年に再建された三間一戸の楼門で、和様と禅宗様を併用した組物を多用した装飾的な建物である。
この「仁王門」を潜ると正面に「本堂」(下の写真)が見えてくる。

本堂 

「本堂」は、1863年に再建され、桁行5間、梁間6間の入母屋、向拝3間付の本瓦葺きの建物である。
「仁王門」を潜って右側には、「三重塔」(下の写真)が配置されている。

三重塔 

「三重塔」は、方三間三重の本瓦葺で、1675年に再建された。1825年には、花崗岩切石積基檀の上に地上げされている。
「三重塔」の反対側に北側にあるのが、1673年から1675年頃の建立された「高祖堂」(下の写真)がある。
高祖堂 

「高祖堂」は、「御影堂」とも呼ばれ「弘法大師」の木像が安置されている。
「本堂」の南側に1819年に「龍鐘楼」(下の写真)が建立された。

石門 

この建物は、「正翁上人」の発願によって建立され、俗に「石門」と呼ばれている。
この「石門」の奥に鳥居が建っていて、「垢離場」(下の写真)がある。

垢離場 

この「垢離場」で、西大寺会陽(裸祭り)の2週間前からお祭り当日まで、身体を清める垢離取り修行を行うことになっている。

今回は、「Wikipedia」、「西大寺」、「週刊古寺をゆく49」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考

 2017_04_23



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