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香川県善通寺市にある「善通寺」は、真言宗善通寺総本山、「屏風浦五岳山誕生院」と号する。この寺院は、「四国八十八箇所霊場の第七十五番」である。そして、「和歌山県高野山」、「京都府東寺」と共に弘法大師三大霊場に数えられる。
平安時代初頭の807年に真言宗開祖「空海」の父である「佐伯善通」を開基として創建された。伽藍は、創建地である東院と、空海生誕地とされる西院とに分かれている。(下の図)

境内図 

「東院」は、創建当初は15の堂宇があったが、1558年に三好実休の兵火に遭い伽藍を焼失するが、1588年に「生駒親正」からの寄進をうけて立ち直った。
現存する建物で古いのが、伽藍東側に建っている「釈迦堂」(下の写真)である。

釈迦堂 

「釈迦堂」は、1681年頃に再建された入母屋造り、本瓦葺き、軒唐波風付向拝、桁行5間の梁間6間の建物である。
「釈迦堂」の北側中央に位置するのが、「金堂」(下の写真)である。

金堂 

「金堂」は、1704年に再建された入母屋造り、本瓦葺き、一重裳階付きで、方三間の一間の身舎が周囲にめぐらされている。
「金堂」の南側正面にあるのが、この伽藍への入り口となる「南大門」(下の写真)である。

南大門 

「南大門」は、1904年に再建された木造の四脚門である。本瓦葺きの間口7.6m、左右袖塀付である。
この「南大門」を入って東側に聳えて建っているのが、「五重塔」(下の写真)である。

五重塔 

「五重塔」は、1845年に再建が始まり、1902年に完成した。この塔は、高さ43mで、総欅造り、三間五重塔婆、本瓦葺きである。
「釈迦堂」の向かい側の西側に建っているのが、「中門」(下の写真)である。

中門 

「中門」は、1876年に再建された木造2階建て、入母屋造り、本瓦葺きで一間一戸楼門である。
参道を挟んで「中門」の向かいにあるのが「西院」の入り口にあたる「仁王門」(下の写真)である。

仁王門 

「仁王門」は、1889年に再建された三間一戸の八脚門で、入母屋造り、本瓦葺で、棟に鯱を飾っている。
「仁王門」くぐり「回廊」通った先に「御影堂」(下の写真)がある。

御影堂 

「御影堂」は、1831年に再建された。奥殿の前に建っている。前寄りで十字形に入母屋屋根が交叉し、正面に三間向拝を付ける。前方は桁行七間梁間四間で外陣とし、その奥に桁行六間梁間五間の内陣を付設し、周囲に縁をまわして礼拝空間を創出している。
「東院」には、樹齢1000年の「大楠」(下の写真)がある。「五重塔」の西側に位置した所ある「大楠」(下の写真)である。

大楠 

このそばに、もう一本「五社明神の大楠」と言われる楠が立っている。

今回は、「Wikipedia」、「週刊古寺をゆく」、「善通寺HP」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考
●古寺を巡る

週刊 古寺を巡る 45 善通寺  弘法大師が生誕した四国の霊跡

●弘法大師空海の寺を歩く

弘法大師空海の寺を歩く―高野山、四国霊場…空海ゆかりの地へ (楽学ブックス 古寺巡礼 10)

●三教指帰と空海

三教指帰と空海: 偽撰の文章論


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 2017_05_26


今回は、日本三大奇祭のひとつと言われる会陽(裸祭り)で有名な岡山県の「西大寺」を紹介します。
「西大寺」は、岡山県岡山市東区にある寺で、「高野山真言宗別格本山」の寺院である。
751年に、藤原皆足姫が草庵を建て、千手観音を祀ったのが起りであると伝えられている。
777年に、「安隆上人」が金岡の地に角を埋めて諸堂宇を建立して「犀戴寺」と称した。
後に「後鳥羽上皇」の祈願文から「西大寺」に改称されたとされている。
1299年に堂宇を焼失したが、その時には「本堂」、「常行堂」、「三重塔」、「鐘楼」、「仁王門」等を構えていたことが、「金陵山古本縁起」に記されている。
現在の境内は、「本堂」、「三重塔」、「仁王門」等の伽藍配置になっています。(下記の図)
境内図 
JR西大寺駅より南側に徒歩で15分の所で石橋の向こうに「仁王門」(下の写真)が見える。

仁王門 

「仁王門」は、1740年に再建された三間一戸の楼門で、和様と禅宗様を併用した組物を多用した装飾的な建物である。
この「仁王門」を潜ると正面に「本堂」(下の写真)が見えてくる。

本堂 

「本堂」は、1863年に再建され、桁行5間、梁間6間の入母屋、向拝3間付の本瓦葺きの建物である。
「仁王門」を潜って右側には、「三重塔」(下の写真)が配置されている。

三重塔 

「三重塔」は、方三間三重の本瓦葺で、1675年に再建された。1825年には、花崗岩切石積基檀の上に地上げされている。
「三重塔」の反対側に北側にあるのが、1673年から1675年頃の建立された「高祖堂」(下の写真)がある。
高祖堂 

「高祖堂」は、「御影堂」とも呼ばれ「弘法大師」の木像が安置されている。
「本堂」の南側に1819年に「龍鐘楼」(下の写真)が建立された。

石門 

この建物は、「正翁上人」の発願によって建立され、俗に「石門」と呼ばれている。
この「石門」の奥に鳥居が建っていて、「垢離場」(下の写真)がある。

垢離場 

この「垢離場」で、西大寺会陽(裸祭り)の2週間前からお祭り当日まで、身体を清める垢離取り修行を行うことになっている。

今回は、「Wikipedia」、「西大寺」、「週刊古寺をゆく49」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考

 2017_04_23


「石山寺」は、滋賀県大津市にある「東寺」真言宗の寺である。本尊が「如意輪観音」で、京都の「清水寺」、奈良県の「長谷寺」と並ぶ、日本でも有数の観音霊場である。本堂が国の天然記念物の珪灰石という巨大な岩盤の上に建っている。
747年に聖武天皇の発願により、東大寺別当となった「良弁僧正」が一寺を建立したのが始まりと言われている。
761年頃から伽藍が整えられた。(下の図)

境内図 

422号に面したバス停を降りると、「東大門」(下の写真)が見えて来る。

東大門 

「東大門」は、1190年に建立された。3間1戸の八脚門であり、入母屋、瓦葺の屋根の建物である。「本堂」の「礼堂」が建立されたのと同時期に大幅な改修がなされている。
「東大門」を潜り参道を真っ直ぐ進んだ奥の右側の高い場所に「本堂」(下の写真)がある。「本堂」は、正面7間、奥行き4間の「正堂」(下の写真手前)と、正面9間、奥行き4間の「礼堂」(下の写真奥)からなる複合建築である。二つの寄棟造りの建物の間に、奥行き1間の「相の間」(下の写真中央の火打窓)がある。

本堂2 

「正堂」は、1078年に火災焼失したが、1096年に再建された。「相の間」と「礼堂」(下の写真)は、淀殿の寄進によって1602年に建立された。

本堂1 

「礼堂」は、傾斜地に建っていられ、「清水寺」と同じ「懸造」である。「相の間」の東の端にある「火打窓」からは、「紫式部源氏の間」(下の写真)の「紫式部」の像が安置されているのが見える。

源氏の間 

「本堂」の東側には、「良弁」、「空海」、「淳祐」の3祖の遺影が安置されている「御影堂」(下の写真)が建っている。

御影堂 

「御影堂」は、単層で檜皮葺の建物で、室町時代に建立され、近世以降改造が加えられた。
「本堂」より一段高い北側に「多宝塔」(下の写真)が建っている。

多宝塔 

「多宝塔」は、1194年に建立されて、高さが約17mがあり、源頼朝の寄進したと言われている。
「多宝塔」にのぼる石段の前に、国の天然記念物に指定されている「石山寺の珪灰石」(下の写真)がある。

珪灰石 

「珪灰石」は、石灰石が花崗岩の熱作用を受けて変形した岩石で、主にカルシュウムと珪酸塩鉱物から成っている。河畔の平坦地に大きな褶曲をなし、奇怪な姿を盛り上げている例は少なく、国の天然記念物に指定された。

今回は、「Wikipedia」、「石山寺HP」、「週刊古寺をゆく27」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考

観音巡礼 西国三十三所霊場 2 [DVD]


 2017_03_27


「金剛峯寺」は、明治期以前は真言宗の総本山として「高野山」全体と同義であった、明治期以降は高野山真言宗の管長が済む総本山寺院のことを「金剛峯寺」と称している。
下の写真は、「金剛峯寺」の航空写真です。(Googleより)

金剛峯寺航空写真 

右側に「主殿」、左側に「奥殿」があります。
「金剛峯寺」と呼ばれるのは、1869年に「青巌寺」と「興山寺」(廃寺)の2つの寺院が合併したものである。「青巌寺」は、1593年に豊臣秀吉の建立で、1863年に再建された。(下の写真)

金剛峯寺 

主殿の正面の左側にあるのが「大玄関」、右側に「小玄関」がある。
1934年には、主殿正面左側奥の方に「奥殿」(下の写真)が建立された。

奥殿 

「奥殿」の前にある石庭が、日本最大の石庭「蟠龍庭」である。同じ年に、「別殿」が建立されている。
1984年には、「新別殿」が建立された。
1967年に「阿字観道場」(下の写真)が建立された。

阿字観道場 

「阿字観」とは真言密教における瞑想法で、仏との一体をはかるものである。
前回紹介しました「壇上伽藍」の東側、「金剛峯寺」側に、1127年に建立されのが「東塔」(下の写真)である。

東塔 

1843年の「高野山」の大火災で炎上し、1984年に再建された。
南側の小田原谷にある「金剛三昧院多宝塔」(下の写真)は、1223年に建立された。

金剛三昧院多宝塔 

「多宝塔」は、檜皮葺、初層は3間四方で、高さは14.9mある。
2004年に、高野山町石道と金剛峯寺境内(6地区)、建造物12件が、「紀伊山地の霊場と参詣道」としてユネスコ世界遺産に登録されました。

今回は、「Wikipedia」、「高野山HP」他を参考に紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考

図解 高野山のすべて (別冊宝島 2135)


新版 高野山の精進料理


とっておきの高野山 総本山 金剛峯寺 高野霊木ブレスレットBOOK (バラエティ)




 2017_03_02


「高野山」は、和歌山県東北部にある、天軸山・楊柳山・弁天岳・魔尼山など八つの山山に囲まれた標高800mの平坦地に位置する。
861年に嵯峨天皇から下賜された「空海」が、修禅の道場として開いた。
その頃は、全体をさして「金剛峯寺」を呼ばれ、889年に座主職(ざすしき)が置かれるようになった。
「高野山」は、雷火の直撃をうけて諸堂がほとんど灰塵に帰すなどの災厄に何度か遭って荒廃を極めたこともあった。そのたびに、外護者があらわれて、不死鳥のようによみがえった。
「高野山」の境内は、100か寺以上の寺院が密集する、宗教都市である。
山内は、西院谷、南谷、谷上、本中院谷、小田原谷、千手院谷、五の室谷、往生院谷、蓮花谷の各地区に分かれいる。(下の図)

境内図 

これらの地区全体の西端に、「高野山」の正面にあたる「大門」(下の写真)がある。

大門 

1705年に再建された「大門」から入って行くと、「高野山」の中心で聖地のひとつである「壇上伽藍」が西側の一番高い位置にある。(下の図)

壇上伽藍図 

「大門」くぐり大門通りをあるいていくと、左側に2015年の4月2日に落慶が行われた「中門」(下の写真)が見えてくる。

中門 

172年ぶりに再建された「中門」は、焼失前には持国天、多聞天の二天像が安置されたいた。今回の再建で新たに増長天・広目天の二天像を追加して、現在は四天王象が安置されている。前の二天像は、江戸時代末期の作で、今回は仏師「松本明慶」により新造されたものである。
「中門」を上って門をくぐると、「金堂」(下の写真)が南向きに配置されている。

壇上(金堂) 

「金堂」は、1926年に焼失して、1934年に鉄筋コンクリート造で再建された。入母屋造りの建物で8代目になる。
「金堂」の東側にあるのが、「不動堂」(下の写真)である。

不動堂 

1197年頃に建立され、当初は高野山内の五の室院谷にあり、1908年に現在の地に移築された。檜皮葺きの入母屋造りの住宅風仏堂で国宝に指定されている。
その北側後方に二重塔の多宝塔「根本大塔」(下の写真)がある。

根本大塔 

1937年に空海入定1,100年を記念して鉄筋コンクリート造で再建されたものである。
「根本大塔」の西側にあるのが、「御影堂」(下の写真)である。

御影堂 

現在の建物は、1847に再建されたものである。
「御影堂」の西側の1段高い山上に「西塔」(下の写真)が建ている。

西塔 

887年に初代「西塔」が建立されて、現在の塔は5代目で1834年に再建された。
「壇上伽藍」から東に行くと「金剛峯寺」がある。
「金剛峯寺」については、次回紹介いたします。

今回は、「週刊 古寺をゆく15」、「Wikipedia」、「高野山HP」他から紹介しました。

今回は、ここまで!!

☆参考




 2017_01_29




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